その日は雨で、部活はトレーニングルームでの自主トレになった。
思えばその二、三日前から長太郎は様子がおかしかった。何か言いたそうにしては言いかけてやめたりして、話しかけても受け答えがはっきりしなかった。それがいい加減気になっていた俺は、帰り道、駅に向かう途中で「おい長太郎、お前なんか変だぞ」と切り出した。
「なんか言いたいことがあんなら言えよ」
雨が強いので、けっこうでかい声で俺は言った。
すると濃紺の大きな傘を差した長太郎は戸惑ったような顔でうつむいて、そのまま何も言わない。俺がだんだんイライラしてきた頃、雨にかき消されてほとんど聞こえない声で長太郎が言った。
「……宍戸さんは、」
「ああ?」
「宍戸さんは、俺がダブルスのパートナーだから、俺を好きでいてくれてるんですか?」
長太郎はそう言って顔を上げると、続けざまにまくし立てた。
「例えば、俺がテニスやめても好きでいてくれますか?例えば、ダブルス組んだのが俺じゃなくて誰か別の人だったら、そいつのこと好きになってましたか?」
俺はその勢いにも予想外な言葉の内容にも驚いてしまって、しばらく何も言えなかった。
「……何言ってんだよ、おまえ」
ようやく俺が答えると、長太郎は見たこともないような真剣な顔つきで「俺は、宍戸さんが好きです」と言った。
「でも、宍戸さんは俺とは違うんじゃないかって気がずっとしてて、……」
「すいません。変なこと言って」
そう言うと、長太郎は頭を下げて「じゃあ、お疲れ様でした」と言って走って行ってしまった。俺は一人で土砂降りの雨の中に取り残された。
テニステニステニス、とにかく俺の頭にはそれしかなかった。飯を食うことよりも眠ることよりも、遊ぶことよりも恋愛をすることよりも。
強くなりたかった。もう誰にも負けたくなかった。
でも、俺は俺一人では力が足りなかった。それが分かってもがいていたところに手を差し伸べてくれた長太郎を、それからずっと一緒に協力してきた長太郎を、好きにならない理由がない。
でも、これがきっと「宍戸さんは俺とは違う」と言わせてしまう理由なんだろうなということは俺にも分かった。
もちろん、それでなくても長太郎はいい奴だ。信じられないほど優しくて、一緒にいると楽しかった。だけど、それをテニス抜きにしたらどうかって言われると、よく分からない。なぜなら俺の頭はテニスのことでいっぱいだからだ。
思っていることが違ったら、それはいけないことなんだろうか?あんなに真剣な顔で言ってくるってことは、いけないってことなんだろうな。
じゃあ、俺が強くなりたい、誰にも負けないダブルスになりたいと思ってそればっかり考えていたとき、あいつは全然別のことを考えていたんだろうか?俺のことが好きだから、だからそれに付き合ってくれていたのだろうか?
そんなことをベッドの上で真っ暗な天井を見ながら考えていたら、途方もなく寂しい気持ちになった。
次の日、朝練のために部室に行くと、いつも通り長太郎がいた。
これだってそうだ。俺がいつも朝練に一番乗りするのを知った長太郎がいつの間にか俺に合わせて早く来るようになって、それを俺は当たり前みたいに思っていた。長太郎だって別に感謝されたくてやってるわけじゃないに決まってると思うけど、それでも俺はこういうことを、長太郎の思いの一つ一つを嬉しいとかありがたいとか思うべきだったんじゃないのか、とそのとき初めて思った。
「おはようございます」
長太郎は多分むりやり笑いながら言おうとしていて、でも顔は全然笑えていなかった。緊張しているのが一目瞭然だった。
俺は「ああ」と言いながら自分のロッカーを開けた。
「昨日の夜考えたんだけどよ、」
言いながら、俺も緊張してるのかもしれないと思った。声が震えているような気がした。
「ダブルス組んだのが俺じゃなかったら、とか言ってたけど、そんなのお前だってそうだろ。俺とダブルス組むことがなかったら、俺のことなんか何とも思わなかっただろ。俺たちなんて元々ろくに喋ったこともねぇんだから」
言いながら、俺はなんでこんなことをこんなひどい言い方で言ってるんだろうと思って、自分で自分をすげぇ嫌な奴だなと思った。長太郎の目がみるみる暗くなっていく。
「お前は、俺のこと好きだからダブルスやってんのか?」
「それは、違います」
長太郎がでかい声で言った。それから何か言おうとしていたけど、言葉が出てこないみたいだった。
「分かんねーんだよ」
長太郎の顔は強張っていて、俺はこいつが泣き出すんじゃないかと思ったが、意外にも泣き出すことはなく、じっと俺を見ていた。
「俺だってお前のこと好きだけど、……大好きだけど、それがなんで好きなのかとか、テニスしてなくても好きかとか、そんなの分かんねーよ」
「俺はお前とテニスしてるときが一番楽しい。だからお前といたい。それじゃダメなのか?」
長太郎の目を見て言うと、長太郎はしばらく黙ったあと、「ダメじゃないです」と呟いた。
俺たちは二人ともまだ子供で、もしかしたら俺は長太郎よりも子供なのかも知れなかった。
考えていることが微妙に違ったらうまくいかないと言うのなら、やっぱり俺は恋愛なんてどうでもよくて、テニスだけしていたいけど、だけど、それでも長太郎とならどっちもうまくやれるんじゃないかと思った。俺は子供な上に虫が良すぎるのかも知れない。