何が正しくて何が間違っているかも分からなかった。とにかく俺の頭は真っ白で、今考えると鼻息とか荒くて気持ち悪かったかもしれないけど、そんなことにまで気が回らないくらい必死だった。
宍戸さんのお母さんが出してくれた麦茶のグラスはたっぷり汗をかいて、氷はとっくに溶けてしまった。
「付き合う」と決まったときの天にも昇るような気持ちが半ば裏切られるほど、宍戸さんは依然として「宍戸さん」のままだった。俺はそもそも宍戸さんのそういうところが好きで、だけど、それじゃ意味がないとも思った。
でも、そんなことを訴えたら「じゃあ(付き合うのを)やめっか」とかそんな感じの一言で全てが終わってしまいそうで、恐くて言えなかった。情けないけど、宍戸さんとのことを考えるとき俺はいつも弱気になってしまう。
学校帰りに宍戸さんのお家に寄らせてもらって、宍戸さんの部屋で二人っきり。今までだって何度もあった状況だけど、その日、宍戸さんが「あ〜、暑ちぃ。悪りいな、俺の部屋クーラー壊れてんだよ」と言いながら制服のシャツを脱ぎ棄てて適当なTシャツに着替えるのを見ていたら、「あ」と思った。
俺が何かもどかしい気持ちでいたこと。今までの二人じゃなくて、「付き合っている」二人だからできること。それが何なのか、急に閃いた。そしてそれに気付いてしまったら、もうダメだった。
「ゲームでもすっか」と言ってガチャガチャと準備する宍戸さんの背中にドッと抱きついたら、宍戸さんはわっと短く叫んで前につんのめった。そして「何すんだ」と恐い顔で俺を振り返って、それから絶句した。たぶん、俺がすごく物欲しそうな顔をしてたんだと思う。
絶句したまままっすぐ俺を見る宍戸さんの目を見たら、もうどうしたらいいか分からなくなって、気付いたら、宍戸さんは俺の下に横たわっていた。これは「押し倒す」という格好だ。俺は、考えているときは弱気なのに、気付いたらこんな行動に出ている自分が恐ろしいと思った。思ったけど、もうどうしようもなかった。宍戸さんは何を考えているのだろうか?黙って俺を見ている。
宍戸さんが何を思っているのか気になりながらも、それを訊くことも、仮に「嫌だ」と言われたところで今さらやめることも無理だと思って、俺は、そのまま続けることにした。
続けると言っても、何をどうしたらいいのかはよく分からない。とりあえず、震える手で宍戸さんのTシャツをそっとめくると、普段目にする宍戸さんの体からは想像できないような白い肌が覗いて、俺はそれだけで軽くめまいがした。それから胸とも腹ともつかない、肋の辺りへ恐る恐る手を乗せると、宍戸さんの体が大袈裟にビクッとした。怒鳴られるかと思ったけど、宍戸さんは何も言わない。
そのまま固まっていたら、どんどん宍戸さんの顔が赤くなっていくのが分かった。俺の心臓はかつてないほど速く脈打っている。次、次は、どうしたらいいんだろう?緊張しすぎて倒れそうだ。頭に血がのぼっていっているのが分かる。ああ、ああ。
突然、宍戸さんが口を開いた。
「……長太郎」
それを聞いた瞬間、俺は飛び上がるようにして宍戸さんの体からどいた。そして口をついて出たのは「す、すいません!!」という言葉で、情けないにもほどがある。
「いや、……別に怒ってるわけじゃねーんだけど」
宍戸さんの顔はほのかに赤い。宍戸さんの上からどいてもなお、さっき肋の辺りへやった手はそのままなのが未練がましいと我ながら思った。
「あ、あの、俺、なんか……こういうこと、したくて、っていうか、つ……付き合ってる、から、こういうことしても普通なんじゃないかな、とか、勝手に思って」
しどろもどろになりながら一方的にまくしたてる俺を宍戸さんはじっと見ている。
「でも、それよりも、何よりも、俺、宍戸さんのことが本当に、」
好きです、まで言い切る前に胸がつまって口の中が咽の奥から塩辛くなって頭がカーッと熱くなって涙がボロボロと出て、もう何も言えなくなってしまった。今まさにこうしてその体に触れているのに、すっごく切ないのだった。幸せだけど切ないのだった。
宍戸さんは号泣する俺を見つめてしばらく茫然として、そして呟いた。
「……泣くほどしてーのか」
違います!違わないけど、違います!!