「宍戸さん」
俺が声をかけると、教室で一人ぽつんと教卓の目の前の席に座っていた宍戸さんは驚いたように顔をあげた。
「長太郎?何やってんだ。部活は?」
「ちょっとだけ抜けてきちゃいました。ジロー先輩が『宍戸は補習だよ』って教えてくれたから」
言いながら、宍戸さんの隣の席に腰掛ける。
部活の時間、コートに出たら、いつもは待ち切れなかったというように一番乗りでラケットを振り回している宍戸さんの姿がなかった。俺がきょろきょろしていると、ジロー先輩が呑気にあくびをしながら「宍戸なら補習だよ。数学の」と教えてくれたのだった。

「ジローのやつ……バラすなよなー」
「え?なんでですか」
「なんでって……なんかカッコ悪りぃだろ、先輩が補習ーって」
宍戸さんがシャーペンをくるくる回しながら言う。その目の前のプリントを覗き込むと、当たり前だけど俺はまだ知らないような方程式なんかが書かれていた。

「おまえも、部活さぼってんじゃねーよっ」
宍戸さんがシャーペンで俺の額をペチッと叩いた。
「いてっ。……だって、宍戸さんがいなかったら、することないですもん」
俺が言うと、宍戸さんは呆れた顔をして「お前なぁ……」と言う。
「いくらでもすることあんだろうが。基礎練でも、サーブの練習でも。他のやつに相手してもらうとか」

「でも、やっぱり宍戸さんとがいいです。俺は、宍戸さんと一緒にしたくてテニスしてるから」
宍戸さんの目を見て言うと、宍戸さんもじっと俺の目を見たあと、頬杖をついてプリントに目を落としながら「恥ずかしい奴」と呟いた。

宍戸さんが黙ってしまって、教室はシンとしている。窓の外から、テニス部以外にもいろんな部活の練習している音が聞こえる。
俺は唐突に、キスしたいな、と思って、うつむいてプリントを見ている宍戸さんの近くまで顔を寄せてキスした。

しばらく何も言わなかった宍戸さんがさっと顔をあげて、椅子の背もたれに寄りかかりながら「あー」と呻いた。ギッと椅子の軋む音がする。
「部活さぼって何やってんのかなー、俺たち」
「たまにはいいですね」
俺が笑いながら言うと、宍戸さんは口を尖らせて「よくねーよ、なんにも」と言う。
「俺だって、お前と一緒にテニスしたくて、それが一番したいことなんだからな。こんな、数学の補習なんかよりも」

そして軽く俺の胸をドンと突いて、「だから、さっさと戻って練習してろ。これ終わったらすぐ行くから」と怒ったように言う。
俺は、ああ、俺はこの人のことが好きだなあ、と思いながら「はい」と勢いよく返事した。