夏は真昼の炎天下よりも夕方の日没頃のほうが、空気がむっとして暑いように感じる。単に、一日中練習してきた疲れがたまってそう感じるだけかも知れないけど。
俺がそんなことを考えている間も宍戸さんは黙々とボールを打ち返し続けている。まるで「疲れる」とか「飽きる」なんて言葉知らないみたいだ。テニスをしているときの宍戸さんは、何かすばしこくて強くて賢い動物のように見える。
コートには俺たち以外もう誰もいない。俺はこの風景がこの世で一番好き。世界に俺と宍戸さんの二人きりみたいな気がするから。
だけど、そろそろ「今日は終わりにしましょう」と声をかけなきゃいけない時間だ。もし俺が声をかけなかったら、宍戸さんはきっといつまででも練習しているだろう。
「宍戸さん」
今日は終わりにしましょう、と言うと、宍戸さんは「ああ」と低く呟いて、思い出したようにユニフォームの袖で汗を拭った。宍戸さんの背には赤と青がまざった色の空が広がっている。
二人しかいない部室はとても静か。時どきだけど、宍戸さんは気軽に話しかけられないような雰囲気を放っている日があって、今日もそんな感じがする。
初めてこういう状況になったときは、どうしよう、明るい話とかしたほうがいいのかな、それとも黙っていたほうがいいのかな?とか色々考えて変に緊張したけど、今は全然平気だ。宍戸さんが喋りかけられたくないんだったら俺は喋りかけないし、宍戸さんが喋ってくれたら、俺は一生懸命応える。
乱暴に扱うから宍戸さんのロッカーは立て付けが悪くなっていて、開け閉めする度にガコガコ言う。ガコン、と一際大きい音をさせて扉を閉めると、宍戸さんはカバンとラケットケースを背負った。
俺と宍戸さんの家はけっこう遠い。使っている電車の路線も違うから、一緒に学校を出ても、学校の最寄り駅に着けばすぐ別れることになってしまう。
せめて学校と駅がもうちょっと遠かったらいいのになんて考えてもしょうがないことを考えているうちに、もう駅は目の前だ。この時間の駅は俺たちのような学生に会社帰りのサラリーマンにと、とにかく混雑している。
「長太郎」
とつぜん宍戸さんに名前を呼ばれて、それだけなのに、俺の口からは「はいっ」とすごいいい返事が出た。それをちょっと恥ずかしく思いながらも、宍戸さんの言葉の続きを待つ。
宍戸さんはそんな俺を見てなのかふっと笑うと、「じゃあな。また明日」と言って、俺とは別のホームへと向かう階段をさっさと昇っていってしまった。
それから俺もホームに移動して、電車に乗り込んで、最寄駅に着いて、そうして家に着いても、いつまでも宍戸さんの声が耳に残る。
「長太郎」。何度も何度もその声がリフレインして、俺の頭の中は宍戸さんでいっぱいになってしまう。生ぬるい空気と一緒にまとわりついて離れない。夏が終われば、こんな苦しいような気持ちにもならないのだろうか?