部活の帰りに長太郎と二人でラーメンを食いに行ったことがある。ラーメン食いに行ったっていうか、腹減ったなって言ったら長太郎が「じゃあどっか寄りましょうか」と言うのでそのとき何となく目についたラーメン屋に入った。
店に入ると、流行ってないのか知らないが他に客は一人もいなかった。俺が適当なテーブル席につきながら、カウンターの奥で煙草を吸っているハゲのオヤジに向かって「ラーメン一つ」と言うと長太郎は「あ、じゃあ俺も」と言った。
ネクタイをきっちり締めてブレザーのボタンも全部閉めている長太郎は、中華屋の安っぽく赤いテーブルクロスのかかった机の前ではなんか浮いて見えて、「おまえ中華屋にあわねーな」と言ったら「えー、そうですか?」と言って笑った。
すぐにオヤジがラーメン二つと水を注いだコップを盆に載せて運んできて、ドン、ドンと勢いよくテーブルに置いた。長太郎はテーブルの端に置かれた筒みたいなやつから割り箸を二膳とり出して、片方俺に手渡した。
長太郎は食うのが遅い。まず箸でゆっくりかきまぜるみたいにしてから麺を掴んですくって、やっと口に入れるかと思ったらしつこいくらいフーフーする。それでズルズルすすってゆっくり噛む。俺はフーフーってやつをやらないので舌を火傷することもままあるが、別に気にしない。
そして長太郎は、飯のときも普通のときと同じくらいベラベラ喋るのでよけい遅い。「昨日のあれはどうでしたね」だとか「宍戸さん、何とかって知ってますか?うんたらかんたらなんですよ〜」だとか。そして俺がその話の内容をことごとく覚えていないのは、全然まじめに聞いていないせいでしかない。
そんなんだから、長太郎が三・四口食っている間に俺はもう半分くらい食い終わっていた。ちょっと腹が満たされたところで落ち着いて、コップの水を勢いよく飲み干す。それから店の片隅に置かれた古いテレビでやっているクイズ番組をボーッと眺めていたら、全くマヌケだが、手がすべってガラスのコップを落とした。
「あ」
俺はそう呟いて、そのコップが俺の手に水滴だけ残したまま垂直にすべり落ちて、お世辞にも清潔感あふれるとは言いがたい、油っぽい床に叩きつけられて割れるのをただ見ていた。コップは大袈裟に甲高い音を立てて粉々になって飛び散った。
俺は、自分でもテニスのとき以外は注意力散漫だと思ってたけどここまでとは知らなかったと思った。
その一連の流れに長太郎は「わー!」と大げさに驚いて(カウンターの奥のオヤジはと言えば、相変わらず煙草を吸いながらちらっとこっちを見ただけで手伝おうともしなかった)、器に箸を休めさせると、「あ、宍戸さんあぶないっすよ!俺やりますよっ」と叫ぶや否やさっと椅子から立って、散らばったガラスの破片を屈み込んで拾い始めた。
「あ、悪りぃ」
慌てて俺も椅子から立って拾おうとしたけど、長太郎が「いいですから」と言ってもう片方の手で制すので俺はガラスを拾うことができなかった。
それで、せっせと働く長太郎をぼんやり見ていたら、前から思っていたことが何となくつい口から出たのだった。
「お前はやさしいな」
長太郎は、ピクッと眉を動かしたのちにゆっくり顔を上げた。その大きな手のひらにはガラスの破片が重なって置かれている。
「……好きだからですよ」
一瞬の間を置いてから目を伏せて照れたようにそう言うと、長太郎はすっと立ち上がって、「すいません、コップ割っちゃいました」と俺が言うべきセリフをオヤジに告げに行った。
クイズ番組のワーワー言う音だけが響く店の中で俺は何となく気まずく席に戻った。
長太郎のラーメンは既にズルズルにのびていてまずそうだが、ああ、これから長太郎はまたこれをすくってしつこいくらいフーフーして大事そうにすするんだろうなと思ったら、俺は、その瞬間猛烈に恥ずかしくなった。カーッと頭に血が昇って喉元がひくついた。
あいつは俺に恋をしているし、俺もあいつに恋をしている。そういうことに突然気が付いたのだった。それは俺にとって大発見だった。